大人は本音を言わない
こんにちは、金児です。
昨日は大坪がくさんとご飯を食べに行ってました。
ラクダヤで串カツ食うてー
サスケでたこ焼き食うてー
あっちゅうまの数時間でした。
ご縁で繋がったがくさんですが、おそらく今一番リラックスして過ごせる人であり、先輩です。
基本的に本音で話すことを心情にしていますが、がくさんと話すときはほんまに何も隠す必要がないし、素でいられるのでとても楽ですね。
がくさん、またいきましょう^^
軽く宣伝ですが、がくさんが経営されているMiKAN屋のうまいやさいがほんまにやばいので、載せときます。
私も普通に1ユーザーとしてええ野菜を買っています^^
シンプルに広めたい一心で応援してます。
マジでうまいのでぜひ買ってください。笑
昨日はがくさんと本音で話したけど、
「大人ってまじで本音で話さないよなー」
って話をしたので、そんな話を書きたいと思います。
大人は本音で話さない
「おおーそれいいですね!」
「一緒にやりましょうよ!」
「また相談します!」
こんな歯切れの良い言葉を聞いたことはないだろうか?
散々耳にしてきて、そのほとんどは空の彼方へ消えていった。
そんな言葉に胸を躍らせて、
楽しみに待って、
でもそんな連絡は来なくて。
もはやその言葉に期待を抱くこともなくなった。
切ないかな、それが現実である。
ただ考えてもみてほしい。
例えば初対面の人と出会ったとして、その人の言ってることが的外れであったとして、その的外れを指摘できる人がどれくらいいるのって話でもある。
無論私も指摘できない。
なんとなく
「良いですね!」
って返すかもしれない。
そう考えると、冒頭の言葉は至極妥当な言葉なのかもしれないと思い始めた。
これが本音と建前であり、大人の言葉なのかも。
子供の頃ならそうでもなかった気がするし、
「それはちゃうやろ!」
って言えたかもしれないけど、現実そうもいかない。
結果、大人は本音で話さなくなる。
ちょっとちゃうけどこれ好きやからw
相手に本音で話して欲しかったら・・・
では自分が本音を聞き出したい時にできることはなんなのか考える。
相手に本音の言葉を求める時に必要なことは
「自分が本音で話すこと。」
それしかない。
まず自分が心を開かないと相手は絶対に開かない。
そして本音を聞き出せたとして、その全てを受け入れる器量がなければ成り立たない。
例えば相手の本音が自分の想定した話と全く違ったもので、自分にとってとても辛い意見であったとしても、気分を害さず喜んで真摯に受け止められる。
これが前提条件。
もし本音を求められて、話した側が気分を害する結果になった場合、相手はもう心を開くことはないだろう。
こう考えると、本音でのコミュニケーションが非常に難しいことがわかる。
「何を言っても大丈夫」
「言ってもらっても大丈夫」
そんな関係はすごく稀だしそんな人は多くはいない。
そういった意味で本音で話しあうというのは実は非常に難しい。

StockSnap / Pixabay
肯定と共感だけの世界に成長はない
巷ではオンラインサロン、コミュニティ、ギルド、サードプレイス、こんな言葉飛び交う。
オフラインの活動以外に、オンライン上で人が集まる場所が増えた。
そこには似た意見や思想を持つ人達がいて、居心地が良い。
ここで出会うのがこのブログの冒頭の
「良いですね!」
「やりましょう!」
こんな歯切れの良い言葉達。
所轄薄いコミュニケーション。
この共感や同調の言葉は、発信者の気分を高めてくれるが、それ以上の変化や成長はない。
物事の成長には常に批判的な目、意見が必要である。
心地の良い世界の中だけで過ごすには良いが、全く関係のない世界で生き抜くにはぬる過ぎる。
そこまで考えて批判も含めて本音でぶつかれる。
そんな人こそ本当の仲間ではないかと思う。
本音でほんまにそれで良いのか?
友達やから、仲間やから、知り合いやから目が曇ってないか?
本音で話すその先
自分が自分の本音で話し
相手を受け入れ
相手に受け入れてもらい
そこに何もなくなった時
本当の意味での良い関係があると思う。
ここまでいける人、自分の周りにどれくらいいるのかな?
ほんの一部だろうな。
少なくとも妻とはこんな関係でいたいものです。笑
今日は本音と建前の話をしました^^
共感してもらった人は是非飯でもいきましょう♪
最後は会社の告知!
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